◆――Phase3:Side歩兵 Scene2――

 ――虚ろな瞳の操り人形と化した市民たち、うごめく死者の軍団、そしてこの世の毒をより合わせた様なおぞましい巨大食人植物――
 機械が止まる――藩国司令部の説明によれば『物理域変更』と呼称されるらしいが、車両はおろか銃器に至るまで動かなくなる異常事態――

 『コード【緑】』まさしく悪魔の群れだった。

 全員が無事だった訳ではない。それは、ある意味当然のことで、仕方が無いと思う。普通、交戦すれば被害は出るものだし、撃ち合えば死人が出るものだ。ましてや撤退戦、疎開に遅れた市民を守る為の囮。
 真正面から当たることなく引くことを第一に考えた戦闘ばかりを繰り返していれば、ある程度の死者は当然だ。

 だからこそ、彼は――今更ながら、驚きを隠せないでいた。本隊から離れ、いつの間にか自分達が敵地のど真ん中で孤立していたことを悟ったあの瞬間。先任という立場でありながら、いいや、だからこそ、おそらくは誰よりも先に絶望し――必死でそれを隠していた自分。新兵ばかりではないが、これが初陣だという若者も――目の前のこの青年のように――何人か存在していて、そんな彼らを死地に巻き込んでしまったという思いは、間違いない事実であったと思う。

 だからこそ、こうして話している自分が夢のように感じられてしまう。死者は出た。脱落者は間違いなく存在した。けれど部隊――そう呼ぶのすらおこがましいような集団は、八割以上の兵員を残したまま、本隊、そして藩国司令部まで合流を果たした。
 頭を上げるような暇も無く、隣の人間の断末魔すらかき消されるような戦場を潜りぬけて。

 それが適ったのは、間違いなく――この青年の功績だ。逃げる時。反撃する時。どちらへ。どのように。唯一交信が可能だった本隊の猫妖精(オペレータ)から得た情報、――いいや、果ては機械停止に対応する為に光や音に頼ったモールス符号や伝書鳩まで併用せざるを得なかった――その断片を頼りに、時に悪魔じみた発想で敵の追撃を回避し、或いはやり過ごし、ごく稀には牙さえ剥き反撃した。その意思決定はすべてこの青年が行っていたし、この地獄が初陣であるという新兵の言葉を、誰もがいつの間にか、ある種麻薬めいた歌声であるかのように耳を傾けていた。
 それだけの実績を、残した。
 結果として部隊のみならず多くの民間人を救出・疎開に成功させた。

/*/

「買い被りですよ」

 それは、おそらくは青年にとっては間違いの無い事実なのだろう。苦笑した青年はこちらに敬礼を捧げ、歩き出した。

「では自分はこれで。他のみんなにも眼が覚めたことを知らせなければなりませんし」
「なんだ、心配掛けたのか――というかついでにドクター呼んでこい。むしろそれが第一だろう」
「はい、そうではありますけど、なんか先任、元気そうですし」
「殴るぞテメェ」

 低い声で彼が言うと、青年は失礼しました、と苦笑を返した。悪い気はしない。

「ああ――そうだ」

 青年の背中が病室を出て行こうとしたとき、ふと、ベッドの上の彼は声を掛けた。

「おまえ。士官学校、行く気は無いか?」
「自分がですか? いえ、そんな、自分なんかが」
「判った。ならば覚悟しておけ、何があろうと俺がおまえを士官学校にねじ込むからな」

 その言葉に、青年は間の抜けたような顔をした。
 はっ、と彼は口端を歪める。

「寝ぼけたこと言ってんじゃねーぞ、ガキ。テメェほどの采配が出来る人間をただの雑兵なんぞにしておけるか。テメェはもっと上に立て。んで、俺らを使って俺らを生かせ。民間人を守れ。それがテメェの義務だ」
「……買い被りですよ。オペレータの人が優秀だっただけです。……まあ、考えさせてもらいますけど」
「おう」

 彼が顎でしゃくると、『新米』は改めて敬礼を示したあと部屋を出て行った。
 一人になった病室で、彼は自分の腹に手を伸ばした。右のわき腹。そこに大きな銃創があることを、よく知っている。感覚の曖昧な指先に、ごわごわとしたガーゼの感触があった。
 第一よ、と彼はひとりごちる。その顔に、間違いの無い笑みを浮かべながら。

「この俺が身を挺して護ってやったんだ。この貸し、高ぇぞ」


 ――ダークサマーレルム奇襲攻防戦、終結前日。
 後に、共和国共同プロモーションにおいて、"リンクス"と呼ばれる新任少佐の運命の分岐点。

次のページへ
次のページへ